ひろしま美術館

坂本 繁二郎1882~1969

 福岡県久留米市に生まれる。久留米の高等小学校では、青木繁と同級で、共に森三美に油彩画の手解きを受ける。18歳の時、小学校の図画代用教員を務めるが、1902年、帰省中の青木と再開し、再び画家を志す。同年、青木に同道して上京。小山正太郎の不同舎に入る。太平洋画展、第1回文展などに作品を発表する。1908年、東京パック社に入社し、1911年まで、同誌のためにポンチ絵を描く。1910年、第4回文展に出品した《張り物》で褒状を受賞、次第に頭角を現わす。第6回文展に出品した《うすれ日》は、夏目漱石が「この牛は考えている」と評した作品で、後年の境地を予感させる渡欧前の代表作となった。1914年、二科会創立に加わり、鑑査員となる。1921年、渡仏。アカデミー・コラロッシのシャルル・ゲラン教室に入る。しかし、翌年にはアカデミーを去り、1923年の帰国まで、各地を旅行し、自由研究に励む。フランスでの代表作《帽子を持てる女》では、すでに微妙な色彩のグラデーションによって対象を把握するという坂本独自の表現様式が見られる。帰国後は、郷里の久留米に居住。1924年、滞欧作12点と帰国後の2点を第12回二科展に特別陳列する。1931年、久留米に近い八女にアトリエを構え、ライト・モティーフとなる放牧馬や農耕馬をテーマに制作する。1932年、第19回二科展に《放牧三馬》を出品。以後《水より上がる馬》など、馬の名作を立て続けに発表し、“馬の坂本”の名声が確立する。1935年、帝展参与に推されたが辞退、太平洋戦争中の1944年、二科会が解散してからは、一切の団体に属さなかった。戦中から戦後にかけて、果物、箱など卑近なモティーフを取り上げ、また能面や月夜などを題材に、幽玄な雰囲気の立ちのぼる精神性の高い静物画や風景画を制作した。1956年、文化勲章を受章。八女市で没。

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坂本 繁二郎
《巴里近郊ヴィラ・グルネー》

1922年 油彩, カンヴァス 33.3×41.1cm

Hanjiro SAKAMOTO
Villa Gournay in the Suburbs of Paris
oil, canvas

 

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坂本 繁二郎
《繋馬》

1934年 油彩, カンヴァス 91.0×116.8cm

Hanjiro SAKAMOTO
Tethered Horse
oil, canvas

坂本は、「馬の坂本」と呼ばれるほど好んで馬を描いた。特に福岡県の八女にアトリエを構えてから、放牧馬、農耕馬を集中的に描いている。「九州の明るい季節の変化に富んだ自然、のびやかな風土に、馬の躍動する姿態がぴったりして、私はもう馬にとりつかれてしまったのです」と語っている。

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