明治草創期の洋画家。工部美術学校でイタリア人画家フォンタネージから油彩画の基礎を学び、師の帰国後は、西洋画排斥運動のなかで明治美術会の創設に参加しました。また、自ら画塾不同舎を設立し、多くの後進を育てたことでも知られ、「日本における美術教育の祖」と呼ばれています。
牡丹図
1887年頃 油彩,カンヴァス 77.7×95.0cm