ひろしま美術館

フィンセント・ファン・ゴッホ1853~1890

 ポスト印象主義を代表する画家。印象派が解放した色彩を用い、さらに感情や情念、魂を込める絵画を志向して、20世紀絵画の展開に大きな影響を残した。
 オランダ南部の小村フロート・ズンデルトに、牧師の子として生まれる。16歳で美術商グーピル商会に入社し、店員としてロンドン、パリで多くの優れた絵画に親しむ機会を得る。最初勤勉に働くが、次第に宗教へと向かい、勤務態度も悪くなって1876年に解雇される。まもなく一念発起して大学で神学を学ぶための準備をはじめるが、結局断念。さらに伝道師になる道を選んで、無給の伝道師としてベルギー南部ボリナージュに赴く。しかし、ここでも熱心さが災いして解雇される。こうして、幼少期から絵心のあったゴッホが、失意のどん底で、画家の道を歩みはじめるのであった。ゴッホ27歳の1880年である。
 家族のいるオランダに戻り本格的に絵画に取り組みはじめる。最初、暗い色調で悲惨な主題を描き、ミレーに傾倒した多くの模写も残す。しかし、画家としての才能が開花するのは1886-88年のパリ滞在を経てからであった。弟テオを頼ってパリに出たゴッホは、印象派の画家と作品に出会って、その画風を大きく変える。社会的主題からも離れて、パリの風景や、静物、肖像など印象派が好んで描く主題に取り組み、パレットも明るくなっていった。浮世絵版画にも強い印象を受けたといわれるが、事実「日本のような」太陽と色彩にあふれた自然を求めて、アルルへと旅立つ。1888-89年の「アルル時代」は、実り多い時期で、燃えあがるような色彩によって個人的な観念を象徴的に表現する独自の画風を展開する。一方で神経性の発作が激しくなるが、創造力は衰えることはなかった。1889年サン=レミの精神療養院に自ら望んで入り、翌5月にはパリ近郊オーヴェール=シュル=オワーズのガシェ博士のもとに預けられる。渦巻くような筆触で数々の名作を描き、最後の2年間に350点を超える油彩画と数百の素描を残した。
 1901年パリで開かれたゴッホ展が若い画家たちに圧倒的な影響を及ぼしフォーヴィスムの熱狂を引きおこす原動力となったのをはじめ、ゴッホの実践した感情を込める絵画は、20世紀絵画に一つの流脈を提供することになる。ゴッホ自身はこの展開を知ることなく、1890年7月末オーヴェールで自らの腹をピストルで撃ち抜き、翌々日に没。37歳。  

フィンセント・ファン・ゴッホ《ドービニーの庭》

フィンセント・ファン・ゴッホ
《ドービニーの庭》

1890年 油彩,カンヴァス  53.2×103.5cm

Vincent Van GOGH
Le Jardin de Daubigny
oil, canvas

バルビゾン派の画家ドービニーは、ゴッホが尊敬した画家のひとり。1890年5月、パリ近郊オーヴェールにやってきたゴッホは、彼が所有していた草花の生い茂る初夏の庭園を爽快に描いた。ゴッホが亡くなる2週間前のことであった。本作品とほぼ同じ構図・テーマの作品が、スイスの個人蔵となっている。

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