ひろしま美術館

ジョルジュ・ルオー1871~1958

 ルーベンス、レンブラント以降最大の宗教画家と評され、自らも「キリスト教画家」と称している。フォーヴィスムの画家たちと同世代で、表現主義的な作品を残すが、それらの流派とは一線を画し、むしろ独自に造形性と色彩の美しさを追求した。
 貧しい家具職人の子としてパリに生まれる。父親は信仰に厚く、母親も熱心なカトリック教徒であった。ルオーの宗教観は子供の頃に形成されたと思われる。最初、ステンドグラス職人の見習いとして働くかたわら、装飾美術学校の夜学に通ってデッサンを学ぶ。輪郭線を黒色で太く描くルオーの技法に、このステンドグラスの影響を読み取ることも可能であろう。また、そのなかから画家への関心を高めて、1890年エコール・デ・ボザールに入学、まもなくモロー教室に入る。モローは象徴主義の作家として知られているが、教師としても優れた資質を発揮した。この教室からのちにフォーヴィスムの画家たちが輩出したのは有名な話であり、ルオーも彼らと親しく交わってサロン・ドートンヌの創設にも加わっている。評論家ヴォークセルによって「フォーヴの檻」と称された1905年のサロン・ドートンヌにも出品をしているが、彼らとは別室に飾られ、評価も比較的好意的なものであった。モローの死後、ルオーは独自の道を歩みだすことになる。国立モロー美術館がオープンするとその館長を任されて経済的に安定し、以後創作に没頭することができた。
 ルオーの色彩やタッチは強烈ではあるが、フォーヴの画家たちのような鮮やかさはなく、表現主義者たちのように個人的な感情を直接的に表現したものでもなかった。キリストなど宗教的主題だけでなく、道化師や娼婦、富者と貧者など、社会的な主題を、青の色調で荒々しく描く。そこには、社会に対する怒りや絶望を読み取ることができるであろう。しかし、次第に赤や緑、黄色を主調にした画面になって、キリスト教的視点で描かれた風景画や花々など、内面的な世界を、ある種満ち足りた静けさを伴って描くようになる。1917年以降は、ヴォラールと専属契約を結んで一時版画に専念、また経済的にも社会的にも安定した生活を送り、パリで没。フランス政府により国葬とされた。86歳。

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ジョルジュ・ルオー
《ピエロ》

1937-38年 油彩,カンヴァス 99.8×65.1cm

Georges ROUAULT
Pierrot
oil, canvas

ルオーは、「道化師は私自身だ、私たちだ、私たちほとんどすべてだ」と語り、生涯にわたって道化師を描き続けた。彼らのきらびやかな衣装のうちに秘めた悲哀や苦悩、さらにはそれらを乗り越えたかのような慈愛に満ちた微笑に、人間の悲しみとその救済の象徴を託したのである。

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ジョルジュ・ルオー
《二人の兄弟、ピエロとクラウン》

油彩,カンヴァス 72.0×51.0cm

Georges ROUAULT
Les deux frères, pierrot et clown
oil, canvas

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