ひろしま美術館

エドワルド・ムンク1863~1944

 ノルウェー南部のロイテンに生まれ、首都クリスチャニア(1925年、オスロと改称)で育つ。叔母から絵の楽しさを教わり、16歳の時、画家になる決心をする。王立美術工芸学校に学び、1885年に奨学金を得て、パリに留学し、最初は印象派、後にはナビ派や後期印象派の手法に大きな影響を受ける。また、オスロの急進的なボヘミアン運動から思想的な影響も受けている。
 92年にベルリンで開かれた個展は、あまりの特異性から当時の権威者たちに衝撃をあたえ、開催を途中で打ち切られる異例の結果をもたらしたが、ムンクの名は、一躍国際的に知られるようになった。ムンクが描いた作品は、母と姉を結核でなくした彼自身の幼少期に受けた精神的なショックを反映しており、個人的な悲しみや強迫観念にもとづく苦悩と不安を特徴としている。それらの主題は、デフォルメされた流動的な形態と、強烈な色彩によって描かれた。30歳を過ぎた頃から版画を手がけるようになり、《吸血鬼》《叫び》《マドンナ》などを繰り返し制作している。ノルウェー、フランス、ドイツを転々とし、『悪の華』などの挿絵や、舞台装飾も行った。
 神経症とアルコール依存症を病んでいたムンクは、1908年に精神的な分裂をきたして入院し、翌年ノルウェーに帰国する。治療を続けた甲斐もあって、後半の生活は比較的穏やかになり、オスロ大学の壁画(1910-16)や、明るい色彩の生き生きとした風景画には、それまでとは打って変った穏やかさが反映されるようになる。70歳を超えてから、自画像を頻繁に描くようになる。1944年、オスロ郊外のエーケリで生涯を閉じた。

エドワルド・ムンク《マイスナー嬢の肖像》
 

エドワルド・ムンク
《マイスナー嬢の肖像》

1906-07年 油彩,カンヴァス  51.0×45.2cm

Edvard MUNCH
Mlle. Meissner
oil, canvas

 

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