ひろしま美術館

ジャン=フランソワ・ミレー1814~1875

 1814年、ノルマンディー地方のシェルブール近郊の寒村グリュシーに、農家の長男として誕生する。敬虔なカトリック教徒で信仰心の篤い祖母や田園暮らしを愛する父親に育てられ、野良仕事の合間に聖書やローマの田園詩を愛読したり、大好きな写生に没頭したりして幼少年期を過ごした。19歳の時、シェルブールに出て、ムシェルやラングロワに師事する。1837年、奨学金を得て、パリの美術学校に入学。画壇の重鎮ドラローシュの教室に属し、デッサンと歴史画を勉強するが、アカデミックな教育に違和感を覚え、翌々年には退学してしまう。苦学の末、1840年、サロンに肖像画《ルフラン氏の肖像》が初入選。翌年、病弱なポーリーヌ=ヴィルジニー・オノと結婚するが、3年後に死別してしまう。この頃「華やかな手法(マニエール・フルーリ)」と呼ばれる鮮やかな色彩の時代が訪れる。1845年にカトリーヌ・ルメールと再婚し、彼女との間に9人の子供を授かる。神話的な作品を描いていたが、1848年、サロンに《箕をふるう人》を発表し、農民画家としての一歩を踏み出した。翌年、コレラの流行を避け、友人のシャルル・ジャックの勧めで共にバルビゾンに移住し、終生を過ごす。1850年のサロンに《種をまく人》を出品し、物議をかもすが、《落穂拾い》や《羊飼いの少女》など、農民をテーマとした作品を次々と発表した。それらは当初、農民支持の象徴とみなされることもあったが、ただミレーは大地との戦いに明け暮れる農民の生活や田園風景をありのままの姿で描きたかっただけなのである。次第に産業を担うブルジョワジーが勢力を伸ばすようになると、ミレーの農民画は労働を賛美するものとして高い評価を受けるようになる。晩年はバルビゾンや故郷の何気ない風景を、自然への畏敬の念をこめて描き始めるが、その矢先、病が悪化し、1875年60歳で没。

ジャン=フランソワ・ミレー《刈り入れ》
 

ジャン=フランソワ・ミレー
《刈り入れ》

1866-67年 パステル,カルトン 96.0×68.0cm

Jean-François MILLET
Le Moissonneur
pastel, carton

ミレーが晩年しばしば用いたパステルによる作品。油彩に負けない力強い大作で、農作業にいそしむ農夫が描かれている。1853年ミレーの原画による木版画シリーズ『田園の労働』が出版されたが、そのひとつ《草刈り》が本作のもとになっている。

ジャン=フランソワ・ミレー《薪拾い、夕陽》
 

ジャン=フランソワ・ミレー
《薪拾い、夕陽》

1867年頃 パステル,カルトン 41.5×50.7cm

Jean-François MILLET
Le Ramasseur des fagots, soleil couchant
pastel, carton

ジャン=フランソワ・ミレー《毛を刈られた羊》
 

ジャン=フランソワ・ミレー
《毛を刈られた羊》

1862年 油彩,カンヴァス 59.5×73.0cm
コクヨ㈱寄託

Jean-François MILLET
Moutons après la tonte
oil, canvas

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