ひろしま美術館

アンリ・マティス1869~1954

 フランス北部、カト=カンブレジに生まれる。郷里に近いサン=カンタンで中等教育を終え、パリで法律を学ぶ。サン=カンタンの法律事務所で働いていた20歳のマティスは、虫垂炎をこじらせ1年余りの療養生活を余儀なくされる。この時、無聊を慰めるために母から贈られた絵具箱を使って絵を描いたことが、マティスを画家への道に歩ませることとなった。1891年、再びパリに出て、アカデミー・ジュリアンに通い始め、翌年からは、エコール・デ・ボザールのギュスターヴ・モローの教室に入り、ルオー、カモワンらを知る。モローのもとで、ルーヴルで古典を模写するなど伝統的な技法を学び、1896年のサロンに入選。アカデミックな新進画家として嘱望される。1890年代の終わり頃、印象派の作品に接し、徐々にアカデミスムから離れる。セザンヌ、新印象派に強い関心を抱き、画面構成や点描による色彩の研究を試みる。1901年、シニャックの主宰するアンデパンダン展、1903年に創設されたサロン・ドートンヌに出品。1905年、サロン・ドートンヌで、マティス、ドラン、マルケ、マンギャン、ルオー、ヴラマンクら激しい彩色の作品が同じ部屋に展示され、フォーヴィスム(野獣派)の呼称が生まれる。マティスはその代表格と目され、ピカソとともに20世紀初頭の前衛的な絵画運動のリーダーとしての名声が次第に高まる。1908年頃、激越な色彩の饗宴は終わりを告げ、秩序ある画面構成により絵画の平面性を追求することが、マティスの主要な課題となり、原色を多用しながらも、平明な落ち着いた世界が現われる。1920年代には、アンティームな雰囲気の室内や、官能的なオダリスクのモティーフが登場。1930年代以降、ますます平坦な色面を組み合せ、絵画の二次元性を強調する作品が際立ち、やがて晩年の“切り絵”に集約される。ニース、ヴァンスなど、好んで南フランスを制作の場とした。ニース郊外シミエで没。

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アンリ・マティス
《ラ・フランス》

1939年 油彩,カンヴァス  44.8×36.7cm

Henri MATISSE
La France
oil, canvas

1939年第二次世界大戦勃発後、フランスがドイツに宣戦布告した年の暮れに制作された作品。女性はフランス国旗の色、自由・平等・博愛を示す3つの色で彩色された衣装をまとっている。祖国の危機に際し、その文化、芸術への誇りを毅然とした女性像に託したものである。

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アンリ・マティス
《赤い室内の緑衣の女》

1947年 油彩,カンヴァス  72.7×60.4cm

Henri MATISSE
Jeune fille en vert dans intérieur rouge
oil, canvas

開かれた窓、椅子に座って読書する女性、卓上の静物など、マティスの慣れ親しんだモティーフが赤い室内に展開する。マティスは、ここで床面と壁面を塗り分けることなく、わずかに異なる模様だけで区別している。2次元の平面である絵画独自の美を求めたマティス最晩年の作品である。

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