ひろしま美術館

エドゥアール・マネ1832~1883

 法務省の高官を父に、パリの富裕な家庭に生まれる。学校の成績はかんばしくなく、船員見習を経て、17歳の時、父の猛反対を押し切って画家になることを宣言。翌年、当時人気の頂点にあった歴史画家トマ・クーチュールの画塾に入る。やがて師との絵画に対する方向性の違いに気づいたマネは、ルーヴル美術館やヨーロッパ各地の旅先で出会ったルネサンス、バロック期の名画、とくにスペイン絵画の巨匠たちの作品に親近感を覚え、模写や引用を試みる。1863年の「落選展」に出品した《草上の昼食》、ついで1865年の《オランピア》と、同時代に生きる女性の率直なヌードを描いて大きな話題となった。明暗の対比によって強調された色面の明るさ、陰影による肉付けを排した平板な画面構成など、マネの斬新な表現は、モネ、ルノワール、バジール、ピサロらを大いに刺激し、印象派の揺籃ともいうべき、マネを囲む若い画家たちの“カフェ・ゲルボアの集い”へと発展する。しかし、“印象派の父”マネ自身は、ついに印象派展に参加することなく、その後もサロンへの出品を続けた。カフェ、酒場、競馬、舟遊び、友人たちの肖像など、パリ市民の“近代”を闊達な筆致で描写し、晩年には、軽快なパステル画による女性像を残している。パリで没。

エドゥアール・マネ《バラ色のくつ》
 

エドゥアール・マネ
《バラ色のくつ(ベルト・モリゾー)》

1872年 油彩,カンヴァス 46.4×32.5cm

Edouard MANET
La Femme au soulier rose (Berthe Morisot)
oil, canvas

モデルは、自らも画家であったベルト・モリゾーである。コローらについて絵画を学んだ後、1874年にマネの弟と結婚するまでしばしばマネのアトリエに通い、時にはモデルを務めていた。第1回印象派展にも出品し、その後も終始熱心な印象派グループの一員であった。

エドゥアール・マネ《灰色の羽根帽子の婦人》
 

エドゥアール・マネ
《 灰色の羽根帽子の婦人》

1882年 パステル,カンヴァス 55.0×35.3cm

Edouard MANET
Femme au chapeau à plume grise
pastel, canvas

晩年のマネは、パステルで多くの女性像を描いた。パステルの軽やかな質感は、マネの周りに集まるお洒落なパリジェンヌたちを描くのに最もふさわしい素材でもあった。帽子の羽根飾り、襟元のふわふわとした装飾、匂い立つようなモデルの肌に、パステルの柔らかさが生かされている。

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