ひろしま美術館

ポール・ゴーギャン1848~1903

 1848年、パリに生まれる。この年フランスは二月革命の動乱の中にあり、12月にはナポレオン3世が大統領に就任した。共和派のジャーナリストであった父が迫害を避けるためペルーに渡り、彼は7歳の時までこの南米の地で過ごすことになる。1855年に帰国後、オルレアンで成長し、17歳で水夫になって南米航路に乗船する。その後兵役を経て、株式の仕事に従事、人に勧められて23歳頃から絵を描き始める。28歳の時にサロンに初入選。その後次第に印象派に傾倒していき、自ら描くと同時にコレクションも始める。
 1882年金融恐慌があり、ゴーギャンは株式の仕事を断念する。画家として独立しようとして妻の実家のあるコペンハーゲンに移るが、1885年には、息子だけを連れてパリに戻り、絵画の世界に没入するようになる。
 ブルターニュ地方のポン=タヴェンを1886年に初めて訪れ、ピサロの影響を受けた印象派風の作品を描く。1887年にパナマとマルティニック島を短期間訪れたあと、再びポン=タヴェンに戻り、エミール・ベルナールと共に平面的で輪郭線が強調された装飾的な様式である総合主義やクロワゾニスムの理論と実践を展開させた。この年の10月から12月にかけてゴッホとともにアルルで生活するが、ゴッホの耳切事件の後、別れてパリに戻る。そしてさらなる迷いの時期を経て、1891年、タヒチに渡る。彼はこの南洋の文化が気に入ったが、やはりお金の問題で行き詰まってしまった。そこでいったん1893年に帰国するが、解決しないまま1895年再びタヒチへ赴く。
 ゴーギャンはこのタヒチにも次第に西洋文化が流入してくることを嫌い、更に1901年タヒチから1500km北東のヒヴァ・オア島に移る。ここが彼の最期の地となる。生活苦の中、1903年5月8日死去。現地で埋葬され、放浪の人生の幕を閉じた。

ポール・ゴーギャン《ブルターニュの少年の水浴》
 

ポール・ゴーギャン
《ボア・ダムールの水車小屋の水浴》

1886年 油彩,カンヴァス 60.0×73.0cm

Paul GAUGUIN
La Baignade au moulin du Bois D'Amour
oil, canvas

ゴーギャンは、1886年の夏から秋にかけて、ブルターニュの小村ポン=タヴェンに滞在した。無心に遊ぶ子供たちやブルターニュの風景の素朴さは、文明を厭うゴーギャンにとって、一種のアルカディアでもあった。その思いはやがて、ゴーギャンをタヒチへと導く。

ポール・ゴーギャン《真珠のついた偶像》
 

ポール・ゴーギャン
《真珠のついた偶像》

1892-93年 ブロンズ 22.8×12.5×11.0cm

Paul GAUGUIN
Idole à la perle
bronze

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