ひろしま美術館

ラウル・デュフィ1877~1953

 ノルマンディーの港町ル・アーヴルに生まれる。経済的には決して豊かではなかったが、教会の聖歌隊の指揮者を勤め、オルガンも弾くという父の影響で、音楽への愛着が培われた。1892年、ル・アーヴルの市立美術学校に入学。ここで、ブラックとフリエスに出会う。1900年、ル・アーヴル市の奨学金を得てパリに出、エコール・デ・ボザールのレオン・ボナの教室で学ぶ。ボナ教室のアカデミスムに飽き足らず、毎日、ラフィット街に軒を連ねる画廊を回り、印象派やセザンヌの絵を発見する。1905年、マティスの《豪奢、静寂、悦楽》を見て、印象主義からフォーヴィスムへと転じる。
 1908年、ブラックとレスタックを訪れ、セザンヌやキュビスムに接近して、画面構成の問題と取り組む。1911年、デザイナーのポール・ポワレと知り合い、布地の模様のための木版画制作を思いたつ。翌年、リオンの織物業者ビアンシーニが、その計画に興味を示し、デュフィをデザイナーとして雇用する。デザイナーとしての経験は、セザンヌ風の厳密な画面構成から、デュフィを解き放ち、再び、軽快なリズムと明るい色彩を取り戻させる効果をもたらすこととなった。1922年、イタリアを旅行。この旅行を機に水彩画の制作が増える。1925年の国際装飾美術展(通称アール・デコ展)に出品するポワレの快速船を装飾する14枚のタピストリーを制作。1937年のパリ万国博覧会では、電気館のための大壁画《電気の精》を描く。オーケストラ、ヨット・レース、競馬、南フランスの室内、花などをテーマに、鮮やかな色彩の帯のハーモニーとリズミカルな輪郭線の奏でる、絵画による音楽ともいうべき世界を創出した。南フランス、フォルカルキエで没。

ラウル・デュフィ《エプソム、ダービーの行進》
 

ラウル・デュフィ
《エプソム、ダービーの行進》

1930年 油彩,カンヴァス  70.7×130.5cm

Raoul DUFY
Le Défilé du Derby, Epsom
oil, canvas

ヨーロッパの競馬場は女性がお洒落を競う場所でもあった。ロンドン郊外、エプソムで開かれるダービーは英国で最も格式の高いレース。当時は毎年6月の第1週の水曜日に開催された。鮮やかな色彩の帯が互いに響きあうパノラマ、初夏の祝祭の一日が晴れやかに表現されている。

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