ひろしま美術館

ピエール・ボナール1867~1947

 パリ郊外、フォントネー=オー=ローズの豊かな中産階級の家庭に生まれる。父は陸軍省の官吏であった。法科大学に入り、法学士の資格を得るが、そのかたわらアカデミー・ジュリアンに通い絵画の勉強も続けた。この画塾で、ポール・セリュジェ、モーリス・ドニ、ヴュイヤールら、やがて“ナビ派”を結成する仲間と知り合う。“ナビ”とは、ヘブライ語の預言者を意味する言葉に由来するもので、1888年、ブルターニュ地方の小村ポン=タヴェンでゴーギャンに直接指導を受けたセリュジェが、その思想に感銘を受け、仲間に伝えたことに始まる。ボナールたちも、ゴーギャンの新しい芸術に共感し、翌年、それを広めようと“ナビ派”を結成するのである。1890年代、平坦な色面を明確な輪郭線で隈取りするクロワゾニスムというゴーギャンの表現法を介し、ボナールは日本の浮世絵版画の表現方法に接近する。都市風景の連作、ポスター、ブックワークなど、ボナールは陰影を排した平板な彩色、俯瞰的な構図など、浮世絵に見られる表現を採用して制作し、仲間の間で“日本的ナビ”とあだ名された。1890年代半ば、ボナールは後年妻となるマルトと出会う。この出会いは、病弱で人との付き合いを厭うマルトの人となりのために、やがてボナールをナビ派の仲間から引き離してしまうこととなった。1910年以降、ボナールはパリ郊外ヴェルノンの自宅や南フランスの別荘を舞台に、室内や庭園の穏やかな情景や浴室のマルトを、まばゆいばかりの色彩を駆使して繰り返し描く。幸福感に満たされた中産階級の日常を描き続けたボナールは、終生交友を続けたヴュイヤールとともに、“アンティミスト(親密派)”と称される。南フランス、ル・カンネで没。

ピエール・ボナール《ピガール広場》
 

ピエール・ボナール
《ピガール広場》

1905年頃 油彩,カンヴァス 31.6×47.4cm

Pierre BONNARD
Place Pigalle
oil, canvas

モンマルトルに程近い歓楽街ピガール広場の賑わいを描いたもの。急に強い風が吹いてきたのか、道行く女性は帽子を押さえ、子供は母親の後ろに隠れて難を逃れる。後方では花売りの車も移動を始め、帽子を飛ばされた男性はあわててそれを追いかける。パリの日常がいきいきと描かれている。

ピエール・ボナール《白いコルサージュの少女》
 

ピエール・ボナール
《 白いコルサージュの少女
(レイラ・クロード・アネ嬢)》

1930年 油彩,カンヴァス 91.7×65.0cm

Pierre BONNARD
Jeune fille au corsage blanc (Mlle. Leïla Claude Anet)
oil, canvas

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