ひろしま美術館

シダネルとマルタン展
特別コラム

学芸員コラム~シダネルを巡る旅~

第6回:バラの村・フランスで最も美しい村「ジェルブロワ」を見出したシダネル

 シダネルは、フランスで最も美しい村のひとつに選ばれたジェルブロワを見出した画家として知られている。ジェルブロワは、ノルマンディー地方とピカルディ地方のちょうど境界上にあり、中世にはイギリスとフランスの各王国が覇権を争った場所でもあった。いわゆる中世の城塞都市である。

城塞都市といえば大きな街のようだが、城塞そのものが直径1.7km程で、端から端まで歩いて30分もかからない小さな村である。現在の人口も、100人にも満たない。シダネルは、そのほぼ中央に大きな家屋と庭を所有し、自らの好きなように庭を作っていった。 

地方の邸宅といえばモネのジヴェルニーが有名であるが、シダネルもこのモネに倣ってジェルブロワの邸宅を作ったと思われる。また、ジェルブロワは、現在でもバラの街として知られる。毎年6月にはバラ祭りが開かれ、全国から愛好家が訪れる。現在では中世の街並みと街中にあふれるバラとのコントラストで知られるが、実は、このバラを最初に植えたのもシダネルその人であった。

19世紀末にこの街にシダネルがやってきた時には、たんに遺跡に囲まれた廃れた街であった。家を買い取り、庭を作りはじめたのは、モネの庭と同じように、自らの画題を得るためであった。バラを好んだシダネルは、庭にバラを植え、母屋の石壁や窓辺を飾ったのである。 

それを見た近隣の人々もバラを植えはじめた。それが、またたくまにジェルブロワをバラの街に変えた。シダネルは、後に全国バラ協会の会長まで務めている。今日では、全国から、あるいは世界中から多くの人たちが訪れる人気の村となっている。ただし、交通の便が悪く、車で行くしかないため、バラ祭りの時を除けばそれほど混み合っている感じはない。 

近年では(コロナ禍の前は)、画家シダネルにゆかりの街とは知らずに日本から訪れる人も増えていたが、多くはパリから観光バスで訪れる場合が多いようだ。シダネルの村と知って訪れると、またひときわその趣に浸ることができるだろう。ちなみに、シダネルの庭は、有料であるが一般に開放されている。

画像:ジェルブロワの村の写真

第5回:ヤンさんがこだわったシダネルとマルタンの二人展

シダネルとマルタン展

 日本で最初のシダネル展(2011-12年)は、成功裏に終わった。ほとんど知名度がない作家の展覧会にしては多くのお客さんに見ていただくことができた。なにより、どの展覧会場でも、来館者には大変評判がよかった。それゆえ、この展覧会直後から、第2弾をやって欲しいとの声をいただいていた。 

最初の展覧会は、フランス国内の個人と美術館からの出品が中心であった。実は、シダネルの秀作の多くは、イギリスとアメリカに所蔵されている。次はそれらをぜひと考えながら、国を増やすとどうしても経費がかかる。ようやく人気がではじめたといっても、まだまだ巨額の予算が必要な展覧会をやるには力不足であった。 

それでもあきらめきれず、ヤンさんとも何度も相談した。その結果、シダネルとその仲間たちの展覧会「最後の印象派展」(2015-16年、国内7会場巡回)の開催にこぎつけた。シダネルの出品作品は、7点であった。 

この展覧会も非常に魅力的であったし意義深いものであったが、シダネルのファンとしては、やや消化不足であった。それゆえ、その後もシダネルの個展の開催を模索し、ヤンさんとも相談した。 

その中で出てきたのが、今回のマルタンとの二人展である。ヤンさんは、マルタンも日本でほとんど紹介されていないこと、シダネルとマルタンは生涯の友情関係を結び、二人の作品を並べて見る事でシダネルがより際立つと主張した。個展に対するこだわりは捨てきれなかったが、ヤンさんの熱意に負けて今回の展覧会となった。 

しかし、展示を終えて会場を見たとき、ヤンさんの言っていることがよくわかった。大変面白い展覧会であるし、シダネルのファンにも充分楽しんでいただけるはずである。シダネル作品は、ヨーロッパから37点、当館だけは所蔵の3点も同会場で見ることができる。今回はコロナ禍でヤンさんの来日は実現できなかったが、オンラインで会場を見せて回ったとき、その照れを含んだ満面の笑みを見せてくれた。

画像:「シダネルとマルタン展」初日の様子

第4回:シダネルの曾孫ヤンさんとの出会いがシダネル展のはじまり

シダネルとマルタン展

  一般にはほとんど知られていないシダネルであったが、当館ではなぜか当初から人気があった。それで以前から、この作家の展覧会ができないかと、ことあるごとに話題に出していた。館内はもちろん、他館の学芸員とも展覧会ができないかと話をしたのである。 

しかし、やはり知名度のなさが災いしていっこうに進展しなかった。そんななか、以前から付き合いのある展覧会コーディネーター(企画協力者)に、フランスでシダネル展開催のキーパーソンとなる人(研究者、所蔵者等)を探してもらった。それで見つけたのが、シダネルの曾孫にあたるヤンさんであった。彼自身、フリーの美術史家でもあった。

 はじめてパリのカフェで会ったことを今でもよく覚えている。 フランス人(とくに美術業界)の人には珍しく、ちょっと照れも入った満面の笑みで迎えてくれた。見た目は華奢な芸術家タイプであった。日本でシダネルの個展をやりたい、と切り出すと、最初は「えっ、何? 展覧会?」と驚いたようだった。出身国フランスでもほとんど展覧会などやられていなかった頃に、遠く離れた日本での個展の提案である。無理もないことであった。 

それでも、きっと日本でも人気があがるはずだと説得した。もちろん、彼自身も反対のはずはなく、その後いろいろアイデアを出していただき、実現に向けて協力をしてくれた。そして、3年程たった2011-12年、日本ではじめてのシダネル展(当館を含む国内6会場巡回)が実現した。 

ヨーロッパから64点の出品に、当時知られていた国内美術館に所蔵されていた8点も加えた総点数72点の展覧会が実現した。ヤンさんとも広島で再会し、座談会で曾祖父について熱く語っていただいた。あの照れの入った笑みを再び見ることができた。その後、ヤンさんは、いくつもの展覧会を、フランスをはじめヨーロッパで企画開催している。

画像:ひろしま美術館で作品をチェックするヤンさん(左) 2012年撮影

第3回:当時(大正期)すでに日本に紹介されていたシダネルとマルタン

 シダネルとマルタンが、現役当時、フランス国内で人気の作家であったことは、前回お話した。実は、それはフランスや欧米諸国に限ったことではなかった。日本でもよく知られていたのである。

明治末から大正期にかけて「美術新報」という雑誌があった。今日でいうと「芸術新潮」あるいは「美術手帖」といった人気の美術雑誌である。現在は、インターネットで気軽に情報を得ることができるが、当時はまだまだ情報の伝達速度が遅い。また、海外に気軽に行けるような状況になかった(コロナ下になって、海外に行けないことが、西洋および海外美術を専門にしている者にとっていかに不自由なことなのか実感しているところではあるが、当時はそれば普通であった)。それゆえ、現在よりもこの美術雑誌の情報が、美術を志すものにとって、どれだけ重要だったから想像することができるであろう。

その「美術新報」に、シダネルとマルタンはともに紹介されている。シダネルは、「泰西現代巨匠伝叢」というシリーズ記事のなかで紹介されているし、マルタンも大正2年10月号で斎藤豊作というフランス留学経験のある洋画家の言葉として紹介されている。そのほか、二人とも、「日仏芸術」および「仏展」という、当時フランスで活躍する画家の作品を紹介するとともに実際に日本に持ってきて販売していた団体があったが、それの常連であった。人気もあり、実際に日本に輸入されていたのである。

しかし、現在それらの作品はほとんど知られていない。日本国内の美術館が所蔵するシダネルの作品は10点ほどで、マルタンも同じくらいの数が確認されているが、それらの作品はとほんど第二次世界大戦後の収集で、近年日本に入ってきたことが分かっている。大正期から昭和初期の間に輸入された作品があるはずであるが、確認できていない。戦争で焼けたのかもしれないが、どこかに眠っていてもおかしくないのである。当館では、そういったシダネルやマルタンの作品を探している。心当たりの方はぜひご連絡いただきたい。もしかしたら皆さんの蔵や納屋のなかに、当時の名作が眠っているかもしれない。

画像:「美術新報」掲載写真、大和証券の写真

第2回:当時の人気作家シダネルとマルタン

シダネルとマルタン展

 シダネル(1862-1939)とマルタン(1860-1943)は、今日でこそ、まだまだ知名度の低い作家であるが、現役の頃は、人気作家であった。現在著名な作家は、若い頃には作品はほとんど売れないのが定番のように語られることが多い。

ゴッホは生存中(ただし、37歳の若さで自殺している)、1点しか作品が売れなかったことは有名な話であるし、印象派の画家、たとえばモネやルノワールにしても、当初はまったく作品が売れなかったどころか、評論家はもちろん、美術愛好家からも嘲笑の対象となった。

それでも、モネやルノワールは、画壇からさんざん非難された15年から20年後には徐々に評価されるようになり、晩年には人気作家となっている。モネは、ジヴェルニーに大邸宅を構えるし、ルノワールは南仏のカーニュに別荘をもち、いずれもフランス各地から、あるいは世界から若い画家や愛好家が、彼らを訪ねてきたことは有名な話である。

日本から彼らを訪ねた作家も知られている。児島虎次郎は、モネを訪ねて直接作品を購入した(今日の大原美術館の所蔵作品となっている)し、梅原龍三郎は、カーニュにルノワールを訪ねて私淑した。ゴッホも、もう10年がまんして生きていれば、作品が飛ぶように売れたであろうに。

そんな状況のなか、シダネルやマルタンは、当初から画壇で注目を浴び、生涯を通じて人気作家であり続けた。国内フランスはもとより、ヨーロッパ諸国をはじめアメリカで繰り返し紹介され、それぞれ人気を博していた。つねに画壇の中心にあって、最後はともにサロンを代表する画家となり、アカデミー(学士院)の会員、シダネルにいたっては同会長にまで就任した画家である。日本で例えるとともに広島ゆかりの作家で全国的に知られていた平山郁夫と奥田元宋に匹敵する。ともに既に鬼籍に入られて久しいが、現役時代には奥田元宋は日展を代表し、平山郁夫は院展を代表して、ともに日本美術界の重鎮として活躍していた。その意味で、シダネルはサロン・ナショナル(サロンの一つ)を代表し、マルタンはル・サロンを代表していた。

そうした二人であったが、現役時代に有名で、作品もよく売れていたにも関わらず、没後は、あまりにも穏やかな画風が災いし、マティスやピカソなど前衛的な作家が活躍するなか、日本だけでなく本国フランスでも徐々に忘れさられていった。しかし、それが近年少しずつではあるが再評価されるようになり、作品も美術マーケットを中心に徐々に売れはじめている。それは、コロナをはじめ世の中が先の読めない漠然とした不安のなか、どこかほっとする二人の作品であればこその結果かもしれない。いまだからこそ、ぜひご覧いただきたい。

画像:「シダネルとマルタン展」ポスター

第1回:人気投票の常連シダネル

シダネルとマルタン展

 待望の「シダネル展」がはじまった。「待望」と言っても、「シダネルって聞いたことないよ」と言われるかもしれない。確かに、日本では、あるいは世界でも、まだまだ知名度は低い。それでも、人気投票をすると必ず上位に名を連ねる隠れた人気作家である。「アンリ・ル・シダネル」は、19世紀末から20世紀初頭にフランスで活躍した画家で、フランス近代美術のコレクションで知られる当館は彼の作品を所蔵している。

 2018年所蔵作品で人気投票をした。当館の名作、ゴッホ≪ドービニーの庭≫がダントツ人気であるが、モネやルノワールなど著名な作家のよく知られた作品を抑えて、堂々の3位に入った。当館における絵葉書の販売実績も5位以内、すくなくとも10位以内には入る。これは近年にはじまったことではない。開館(1978年)当初から、見られる傾向である。

よく日本の皆さんは、所蔵する、あるいは展覧される作家の知名度によって美術館に行く、と言われる。美術館に勤めていると、新しい作家、つまり知名度の低い作家を紹介したいと考えるものだが、なかなかお客さんが集まらないので、どうしても知名度の高い作家の展覧会からやっていくことになる(そうはいっても、人気作家は、展覧会をやるのに経費が莫大にかかるので、地方の中堅の美術館では、それも難しくなっている)。

だが、この人気投票の結果からも、美術館に来て作品をご覧になるお客さんは、知名度ではなく、素直にご自身の目でご覧いただいていると、いつもホッとする。その代表格が「シダネル」なのである。だから、本当の意味の「待望」の展覧会であった。

今回は、当館に所蔵作品はないがシダネルと同世代の友人「アンリ・マルタン」との二人展であるが、シダネルの出品数は、約40点に上り、日本で開かれた「シダネル展」としては、2011-12年に日本ではじめて開催され、当館にも巡回した「シダネル展」に次ぐ規模の展覧会である。その作品は、特別出品として同じ展示室に並べた当館所蔵の3点を除けば、すべて海外から借りてきた作品である。このコロナ下において、出身国フランスをはじめベルギー、オランダ、イギリスからの出品が実現した。ぜひご期待願いたい。

画像:アンリ・ル・シダネル ≪離れ屋≫ 1927年