ひろしま美術館

児島 善三郎1893~1962

 福岡市で、紙問屋の長男として生まれる。中学校在学中から絵に熱中し、卒業後進学した長崎医学専門学校を中退。悩んだ末に、家業を継がせたいとの家族の心情を振り切って上京。1914年、東京美術学校進学を目指して、岡田三郎助が指導する本郷洋画研究所に入る。同年、受験に失敗、失意にうちに帰郷。まもなく肺疾患により療養生活を余儀なくされる。1920年、健康を回復し、家督を弟に譲って、再び上京。1922年の第9回二科展に《早春の下板橋付近》が初入選となる。翌年、萬鉄五郎を中心とする円鳥会の結成に参加。1925年から1928年まで、パリに滞在し、ヨーロッパ各地を旅行する。パリでは特にドランに傾倒し、堂々としたヴィリュームをもつ女性像を描いた。帰国した年の第12回二科展に《立てるソニヤ》などの滞欧作22点を特別陳列し、二科会友に推挙される。1930年、二科会を退会し、独立美術協会の創立会員となる。1930年代半ば頃より、“日本主義”を提唱し、日本の伝統美術特有の装飾性を生かした華麗な風景画や静物画の様式を創出した。戦後もドランにつながる量塊表現と豊かな装飾性を合わせ持つ風景画、女性像、花の静物画など多彩な制作活動を続けた。代表作は《渓流》《田植》《アルプスへの道》など。入院先の千葉市で没。

児島善三郎《田植》

児島 善三郎
《田植》

1943年 油彩,カンヴァス  72.6×90.5cm

Zenzaburo KOJIMA
Rice-planting
oil, canvas

田植えは日本の風土を特徴づける光景であるが、この作品は、1930年代半ばより日本的な油彩画を探求した児島の風景画の代表作のひとつ。画面には、浮世絵版画のように雨足が描かれる。この頃転居した東京都北多摩郡国分寺のアトリエからは、田圃を見下ろすことができ、雨の日は室内から描いていたという。

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