ひろしま美術館

モーリス・ユトリロ1883~1955

 パリで生まれる。母は、ルノワール、ドガのモデルをつとめ、やがて画家となるシュザンヌ・ヴァラドン。7歳の時、バルセロナ出身のジャーナリスト兼建築家のミゲル・ユトリロに息子として認知され、ユトリロ姓を名乗る。ユトリロは祖母に育てられ、自身の芸術と恋愛に熱中し、息子への愛情を注ぐことを忘れた母への不満から、飲酒癖が始まる。1896年、母ヴァラドンは、ポール・ムージスと結婚。経済的な安定を得ることが出来たものの、制作に没頭する母から顧みられることは少なく、相変わらず寂しい日々を過ごす。学業を中途で放棄し、義父の紹介で銀行員となるが、酒によるトラブルを起こしたため、パリのサン=タンヌ精神病院に入院。以後入退院を繰り返した。1901年、医師の勧めにより、ヴァラドンは、アルコール中毒の治療のために、ユトリロに絵筆を取らせる。やがて、風景画家アルフォンス・キゼと知り合い、彼の影響で本格的に制作と取り組むようになる。1906年、モディリアーニと出会い、交友。1908年、絵葉書からモティーフを取り、数多くの風景画を描く。1909年頃より、次第に白を多用した風景画が制作され、“白の時代”に入る。“白の時代”は、1915年頃まで続く。この間、アルコール中毒が悪化し、第1次世界大戦の兵役は失格となる。1916年頃より、画面の色彩が豊かになる。1923年、母との二人展や個展を開催して、成功を収めるが、次第にその作品はマンネリ化する。1935年、病床の母ヴァラドンの意向でベルギーの銀行家の未亡人、12歳年上のリュシー・ポーウェルと結婚。その後、リュシーのもとで安穏な晩年を過ごす。1955年、南西フランスのダックスで没。

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モーリス・ユトリロ
《アングーレームのサン=ピエール大聖堂
(シャラント県)》

1935年 油彩,カンヴァス  111.0×130.5cm

Maurice UTRILLO
La Cathédrale Saint-Pierre à Angoulême, Charente
oil, canvas

 

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モーリス・ユトリロ
《モンモランシーの通り》

1912年頃 油彩,カンヴァス  58.6×79.7cm

Maurice UTRILLO
Rue à Montmorency
oil, canvas

ユトリロの制作が最も充実していた「白の時代」の作品。画面全体が急速に消失点に向かって後退する極端な遠近法が用いられている。ユトリロは、しばしば名所の絵葉書を参考に風景を描いていた。画面中央の教会の特徴ある尖塔のかたちから、パリ北郊の町モンモランシーを描いたものとされる。

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